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 エピローグ

 

 

「あんた、それでも日本人かッ」

日本人である事の条件

 

 

   日本は「出世街道」の本道から迷い逸れた、ぼくみたいなものには住み辛かった。人並みに夢見た、「永遠の恋」も悪夢に終わると、「人生を降りるんだ」と、嘯きながら、「都落ち」の心境を装って、後ろにして来てしまった。

 我が思春期の体臭が沁み込んだ、東京の街街は生臭すぎて、思い出すのも億劫だったし、日本で凡人だったものが、アメリカくんだり迄来て、帰ってみた所で、非凡人になれるわけはないのだから、ビザは二年しかとれなかったが、当初から、何とかして永住する覚悟だった。二年が三年になり、結婚して長男が産まれた時が四年目。大学には教職の籍を置き、人並みに生活が出来るようになった(と思った)のが、渡米後、五年目頃だったろうか。

 アメリカは(特にカルフオニア)は、厚かましく、少し位恥をかく覚悟さえあれば、誰でも住める国である。厚顔無恥が美徳にすらなるとも在れば、ぼくみたいに、気障でサカリノ付いた猫見たい、、、だった 男には三日住めば、竜宮城の乙姫サマに巡り合わずとも、浦島太郎になる事は時間の問題だったのである。

 そのまま、何事も無ければ、それこそ、すごく、旨く行く筈だったのだが、其処がそれ、やはり、凡人の凡人たる悲しみである。大学の方は無期、万年講師、家庭の方は女房から離縁され、十代から二十代の学生達と恋愛して、同棲はしても、四、五年で、追い出されたり、逃げ出したりしているうちに、二十年、日本と違って、そんな生活をしていても、ウシロ指をさす奴はなく、(全くいない訳では無いのだが、ウシロ指を指された方が、大きな顔をしていられる御国柄だから)そういう意味では、大変、気軽な生活をしているうちに、滞米四十余年の月日が経ってしまおうとしている。

 その間、日本にいる、肉親や恩師、友人達を思った事はあっても、日本に帰って住み直そうなどと思ったことは、一度も無かったのである。一方、別れた前妻がアメリカ人だったので、永住権は自動的に貰っていたから、帰らなければならないと言う、法的な拘束が無かったからかもしれないが、他の国から移民してきた人たちのように、試験を受けて、アメリカの市民権をとろうなどと、考えた事はなかった。

異郷に骨を埋める積もりの男が、国籍のアイデンテティに拘っているのである。因みに、アメリカの市民権を取るには、日本の国籍を放棄しなければならないので、「日本人」に拘ったのと同じ理由で、アメリカ人に成る意思は初めから無かったのだ。

 確かに、コウモリの知覚を習得して、ダブル スタンダードの精神生活を送っているが、知覚の土壌は「日本人」である。少し、くどくなるかもしれないが、ここで、はっきり主張しておきたい事は、便宜上、他人の土地で生活をしているが、ぼくが自らを規制する「信念(principle)」は「日本人」が意味する教えであると信じている。

 其のぼくが、ある日本人から、「あんた、それでも日本人か」と、詰問されたのだ。実は、この話はしたくない。しかし、此れが話せなければ、この手記の目的は果たせないから、恥を忍んで、敢えて、書かせてもらう。

 未だ結婚する前の事で、シスコに来て一年半ぐらい経った頃だった。教え子の一人に、バレーのダンサーが居り、何くれと無く、ぼくの身辺の面倒までしてくれていた。其の女性の別れたご主人と言うのが、実は、日本人だった。

 この国の女性の愛の表現が大変積極的だった事も在るが、渡米したての頃のぼくに、金髪の美人に言い寄られて、(据膳を)断るほど、腹ごしらえが出来ていた筈が無い。今、考えても、ゾッとするほど、浅薄な付き合いだった。

 微妙な意思と情愛の疎通が無くとも出来る恋も在るのか、意志の疎通と情愛に限りが在るからこそ恋が出来るのか、その辺の所は今もって分からないが、進駐軍の GI(ジーアイ) が片言の日本語を使って、日本人の女性と恋が出来た時代も在ったのだから、ぼくの場合も同様、あまり上等ではないが、ローマンスの一種だったのであろう。

 とはいうものの、離婚の手続きも済ました筈のご主人との交際は相変わらず続いている様子。更には、ぼく以外にも、親しい男性(boyfriends) 達すらいるらしい有り様で、最初のうちは、ぼくも大いに混乱したものである。

 ある夜、其の女性のアパートに招かれて、一緒に時を過していた時だった。断りも無く入って来られたのがご主人で、挨拶代わりに、

 「あんた、それでも日本人か」

 と、怒鳴られたと言う次第である。

 其の瞬間のぼくの気持ちは、おそらく日本人、つまり貴方でなければ分かってもらえないだろう。穴が在ったら入りたいと思う気持ち。不意を襲われた事に対する怒り。出来る筈も無い身の証を不甲斐なく試みて思い知る自己嫌悪、等だけで済む問題ではないのである。今更書き並べても、何にもならないが、要は、其の日本人でなければ分からない「日本人」と言う熟語が持っている、神通力である。

 理屈を言えば、法的にも、道徳的にも、ぼくの行いに不正はなく、ご主人が日本人でなければ(と言う事は、相手が西洋人の自己規制を持って生活しているものであるならば)ぼくの方にも、断固、弁明の余地も在った筈なのである。

 離婚に到るまでの経緯は複雑だった様だが、申し出たのは御主人の方で、別居の後、奥さんが他の男性と親しくなる事は了解済みだった由、当然、御主人の方にも、既に同棲中の女性もいた訳だから、相互の人格とプライバシーを尊重し合うならば、仮に前妻だったとはいえ、彼女がぼくと何をしようが前の夫の知った事ではない筈だ。それをいきなり怒鳴りこんでくるのは、プライバシーの侵害で、悪いのはぼくよりも彼氏の方であろう。

 と、思ってはみたものの、それはへ理屈で、日本人には通用しない。「日本人か」の一喝は恐ろしいもので、そういう俄仕込みの、異郷の「シキタリ」を粉砕するような、絶対的な糾弾力がある。

 即ち、日本人には「日本人の自己規制に従って生活している日本人が日本人なのであり、「それでも日本人か」と 誰何(スイカ) するのは、日本人の癖に、其の教えを守っていない(或いは守っていないと判断された)日本人を、「非日本人」だと裁決する事によって、其の行為の間違いを非難する時に使う言葉である。

 此れでもぼくは、少年時代からスポーツや武道をあれこれ嗜み、喧嘩は嫌いだが、いざとなれば、一対一である限り人に引けを取らぬ自信をを持っている。空手道師範の肩書きを持って渡米して来て、自分の道場や、大学でそれを教えるのを生業にしている。だから腕力を恐れる積もりはさらさら無かったのだが、この時ばかりは、自分より年下の日本人の前で、膝をガクガク震わせて、ちじみあがってしまったのである。

貴方がぼくの立場に在ったら如何なされたかなんて、失礼な事は聴けないから、同じ事を、ぼくがどうしたかと質問させてもらおう。日本人たるアイデンテティを疑われているのである。どうするか。

 さよう。謝ったのである。御主人の前に手をついて、平身平頭、平謝りに謝りました。

 日本では(今は知らないが)、「ゴメンナサイ」と言う訓練を、子供の頃から、徹底的にさせられた覚えがある。

 ゴメンナサイが言えれば、ゴメンナサイと言わなければならなかった事情の方は、それほど追求されないが、ゴメンナサイが言えなければ、ゴメンナサイと言わなければならなかった事情の方が、例え些細な事であっても、ゴメンナサイが言えない故に、事情が悪化する事すらある。

 だから、ぼくの世代の日本人は、まず、謝る事によって、身の証を示し、一段落ち着いた所で、改めてあやまなければならなかった事情の釈明に当たると言う作法を身に付けている。

 まず、謝って、御主人に気を取り直して頂いてから、ぼくが如何に恥ずかしく思っているかまず分かってもらった。更に彼の心情を察し、同情の思いを重々表明させてもらい、しかる後に、奥さんとぼくとの間に芽生えた「愛?」の問題を、お互いに検討し合い、彼氏が納得した時点で、改めて、彼氏の一方的な言い掛かりにも、一言、苦情を申し上げた。 その時は夜も白々明け始めていたが、彼の方でも、其処まで言わなければならなかった、彼の心情の方は分かってもらえた訳であるから、其の返礼の作法の意味で、彼の方にも行き過ぎの在った事を認め、その旨、お詫びをなさった。流石に手に手を取り合って泣くようなマネはしなかったが、そんな事をしても可笑しくないような心境になっていた事は事実であるから、矢張り、これは体の良い浪花節である。

 浪花節を愛し、そして同じ理由で、それをケイベツする日本人は(西洋人には風刺漫画がそうであるのと同じように)、心情生活を描写しようとすると、どうしても浪花節になってしまう。

もちろん、西洋人の場合いは「自嘲」、日本人の場合は「共感」と言う感覚の違いこそあれ、(日本人にとっては)、浪花節の通じない世界は住み難いのである。

 

 人間関係と価値観念を示峻する、卑近な諺に「情けは人の為ならず」と言う言葉がある。人に掛けた情けは巡り巡って、自分に戻ってくるのだから、、、と、言う意味なのだろうが、掛けられた情けは、「恩」として、有り難く受け取り、時を経て、それをお返しすると言う不文律のある、日本に住む「日本人」の間での約束事なのであるから、これを英語に直訳して、此方に住む西洋人に解説すれば、例え分かったような顔をしていても、本質的な所で誤解している。

 この国に育ったものは、他人からタダで貰う事を非常に嫌がる。もちろん例外もあるが、情に限らず、人から受け入れるものには「貨幣」或いは、それに相当する物品の価値に換算して支払いを行う。

 受けたものが service (サービス) ならば、チップを払い、それが labor ( レイバー〉 だと解釈されるべき物ならば remittance (賃金) を支払うと言うのが、其の例であるが、「みかけ」からすれば、何も珍しい事ではなく、日本にもそれと同じ生活が在る訳である。

 しかし物事の essence (本質)は、その appearance (外観)と一様でない事は前章にて申し上げた。ぼくが、サンフランシスコで、日本でみた、同じような現象を、其の外観から憶察して、本質の方も(日本と)同じであろうと判断するのは正しくない。

 そういう判断の仕方をしたのが、ぼくの失敗の原因となった。

 日本の場合、人から物を受け取った時、其の品物に、其の人の心ずくし、即ち、「情」がこもっていると考える訓練が出来ている。だから、贈り物を受けるに当たっての「礼」を守る為に其の礼を返すのであって、礼を金で返せば「礼金」となる。即ち、其の本質は「情」を有り難く受け取る事に在り、そうする事で、自己の生活の位置を確保する態度であろう。

 一方、この国の場合、日本と同じく、自己の生活の位置を作る態度には違いはないのであるが、個人(自分)の権利と自由を守るに当たり、対等の人間関係を保つと言う鉄則が在るから、本質は「情」を受ける事を拒否する為の行為であり、人から受けた「恩」故に拘束を受けないようにする事に在る。

 この国にも心情生活は在る。親の情、友の情、師の情を高く評価する事に掛けては、日本の場合と変わらない。しかし、そういう、(愛)情と呼ばれるものは、絶対的、自発的な心の働きだと考えられ、返礼を期待して、相対的に促進される(愛)情はニセモノであると判断する。

 例外も在ると言ったのは、この場合であり、その「情」を受ける好意が、自分の権利と自由を侵害しない限り代償を払わない。しかし、そうでない場合は、夫婦や親子の間ですら、代金の支払いをする関係が生ずる。

 代金は礼金と違って、売り手の方で価格を定めるものであるから、これは、明らかに(商)取り引きだ。

 ぼくの愚息の例で恐縮であるが、彼がコンピューターに凝っていた頃は、いつも、お手許不如意の有り様であった。あれこれ、ソフト ウエーを物色して購入しなければならなかったからである。月月の小使いも、アルバイトの金も使いつくすと、母親と掛け合って借金する。

此れは文字どうりの借金で、担保は月月のこずかい。どうやら、利子の勘定まで決められていた(らしい)のだが、聴けば、更に腹が立ってくるから、ぼくは何も言わなかった。

 ぼくに言わせれば、実に情けない話で、未だ十五歳だった息子に、利子までつけて金を貸す、母親も母親ならば、息子も息子で、何でぼくに相談してくれなかったのか、理解に苦しんだのである。ぼくに一言言ってくれれば、月給を前借りしてでも、タダで買ってやったのに、「水臭い奴だ」と思った。

 しかし、其処が日本人の父親で、息子に言わせると、タダで買ってやるとムキになる、父親を知っているから、(ぼくの乏しい経済状態を察してと言う訳ではなく)、じぶんの気持ちの負担にならない、母親との取り引きの方を選んだらしいのである。

Daddy (親父) は、すぐ悲壮な覚悟をしてしまうから 」と、言うような事を、面と向かって言った事のある、可愛気のない子であるが、今になって考えてみれば、それも、一理在ったような気もするのだ。

 艶歌や浪花節を聞きなれたぼくは、何かと言うと我が身の行いを極端な人情話のパターンにはめ込んで、泣いてみせるクセが出来ているから、息子が言うほど、悲壮になっていなくとも、それを装っている事が在る。もちろんそんな事をする奴は、日本でも相手にされないが、日本なら何処にでも在る話であるから、聞いた方が話を話半分に聞き、適当に感心してみせる「礼」が出来ている。

 「オヤジが血の汗流して稼いでやった金でかってやると、言っているんだ。それを受け取れないと言うのかっ」なんて言うセリフは、日本人ならば、誰でも、一、二度聴かされて育っているから、「ハイ、有り難う御座います」と、言って、頂いてしまえばそれでいい事を知っている。サンフランシスコで生まれて育った息子は、そんな世界が在る事を知らないから、そんな事ばかり口走る父親の態度に辟易し、危険を察し、責任を取る必要のない母親との取引きの方を選択したのであろう。

 「情けは人の為ならず」を直訳すると、誤解されると書いたが、実は其の意味を、「水臭い」、「母親」と息子が行う金利貸」の出来る、非情な関係を肯定する諺として解釈できるのである。

 繰り返すようだが、ユダヤ教、キリスト教、回教が教える、(愛)情と言うものは、あくまでも、自発的、絶対的なもので、日本人が考える(人)情の様に、触発的、相対的な心の働きと根本的な違いが在る。

 慣れない頃は、恋人から「アイ ラブ ユウ」と、いわれて、うっかり、「サンキュウ」と、答えてしまい、相手に気まずい思いを、させてしまったことが良くあった。ぼくにすれば、礼を言ったのが何故悪かったのか、理解に苦しんだものだった。一番簡単な答えは、"I know -分かってる” なのだろうが、此れは先ず、今でも言えない。相手が日本人なら、「まあ、ショッテルわね」と、いわれて、せっかく言ってもらった " I love you " なる言葉を取り戻される羽目になり兼ねないと恐れる次第となる。

 昭和三十六年度、改定版の最新コンサイス和英辞典に、「情けは人の為ならず」の英訳として、"One good turn meets another" の例が挙げられている。日本語に訳すと「善行は善行を持って応対される」となる。

 西洋の世界に馴染まれた"One good turn deserves another" と言う諺と同じ意味で、成る程、大意は究極的には同じかもしれないが「恩返し」と言う、日本人の不文律を述べる言葉とは同じでは在っても、「情けは人の為ならず」の英訳としては「情けは、本当には、誰の為に掛けるものなのか」という、問いの答えになっていないゆえ、不適当であろう。

 真意を敢えて英文で伝えるには、直訳にして、"Your charity serves yourself in the end" と、でもしなければなるまい。「情」を如何に英語にするかは、異論も在るだろうが、応報を期待して行う "charity" は不遜であると言う不文律のある西洋人の世界では、「情けは人の為ならず」の言葉の裏に在る、 逆説的(パロデイ)なニュアンスを含める為に、あえて、「情」の訳語に"charity"を当ててみた次第である。

 善行を奨励すると言う事に掛けては、東西とも変わりはない。変わりが在るのは、其の奨励の仕方である。ユダヤ教、キリスト教、回教の一神教を信仰する、ジュウデオ クリスチャン モスレムの文化(カルチャー )では、其の精神生活の基盤に「神(God) の観念が浸透している。 "charity" は其の世界の宗教用語で、「愛(情)」を意味するから、自己保全を目的に、生活の姑息な手段の為に行うcharity は偽善的行為だと断定される。

 当然、「情けは人の為ならず」のパロデイは意味を、ぼくの訳を文字どうり受ければ、「日本人には何と偽善的な教訓が在るものか」と、唖然とさせる事になる。利己的な(計算高い)行いを奨励していると、解釈できるのだ。

 もちろん、日本人だって、それぐらいの事は分っている。日本人の世界では、この言葉が善行の奨励として、其の教えを破らずに効果的なのは、日本人の間には「人」の観念が浸透しているから、パロデイになるのである。

 ジューデオ クリスチャン モスレムの一神教の信者に、強いて、其のパロデイの意味する所を解説するならば(相手が好意的な者であるならば)「愛(情)」によって具象化される「人の心」が、他人の為ではなく、「自己」の為のものであると教えられた時、「神」の祝福、己の人格の独立を示峻されたのだと解釈するジュウデオ クリスチャン モスレムが解釈する「人」は、「神」の意思に遵ずるのであるから、個人が「自己」の権利と選択の自由を他人の手にではなく、我が手にして良いと言う事は、仮に親子の間からとは言え、金の貸し借りには、親が利子の計算に到るまで、取り決め、それを我が子課してしかるべきである。

 と、言えば、日本人ならば、

 「とんでもない、それでは血の通わない、非情なる親子の関係を肯定する事になり、情の不信、ひいては人間不信を説くものである」と、抗議が在るだろう。

 この相違はもはや文化の違い、習慣の違いなどと言う生易しい問題ではなく、普遍性の欠如、はっきり言って、東西の断絶である。西洋には、"Charity begins at home" と言う諺が在る。「情けは人の為ならず」を西洋人の訓えにのっとって、其の真意を西洋人に納得させるには、この格言が最も妥当なのであろうが、今度は此れを邦訳にして、日本人に、何故、この格言が妥当なのであるのかを分かってもらう為には、四百字詰め原稿用紙、一、二枚程度ではすまないのである。

 この段階ではあまりにも飛躍した言い方になるかもしれないが、個人の権利、選択の自由を究極の目的とする個人主義を、ある教義を反映する、「見かけ」の思想と仮定するならば、其の本質は、実に、「人間不信」を前提とした世界なのだと思う。もちろん此れは、日本人が定義する「人間」を基準として、西洋人が定義する「人間を」批判すると言う過程を経た上での事であるが。

 日本にも個人主義と言う言葉は紹介されている。しかし、其の原則を支えている訓えは故意か無意識か知らないが、省略されてしまっている。其の証拠には、日本では「良い意味での個人主義、、、」「悪い意味での個人主義、、、」と言う表現が使われる事がある。日本人の目からみれば、個人主義には良い面と悪い面が在ると言う事は、とりもなおさず、西洋に始まった個人主義と言う、精神生活を解釈するに当たって、日本人だけに通用する善悪を裁断する(物差しの様な)、絶対的な教義がある事になる。日本人の教義に促する面が「善」であり、相反する面が「悪」となる訳である。しかし、だからと言って、此方のものに、個人主義には、良い面と悪い面があると言うと、怪訝な顔をする。此れは、「富士山を西から見た場合と、東からみた場合、姿が違う」と言う問題とは、全く次元の違う事で、当然だろうが、日本人に分かり易い例を挙げれば、「日本人が口にする、人の道は良い意味での人の道と悪い意味での人の道がある」という、言い方を日本人に言っても、意味が通じない事と同じである。日本人にとっては「人の道」そのものが、日本人の精神生活の評価を決めるモノサシであるから、そのモノサシを計る、(別の)モノサシが在る筈が無いのと同じ様に、アメリカ人には、way of life の評価を決める個人主義なるものが、「人の道」なる日本人のモノサシで測り直されている可能性が在る事は想像できない訳である。

 強いて、個人主義なるものを、日本人の感覚を持って批判するならば、相手がアメリカ人ならば、招かれざるお説教となり、一種の緊迫感を伴った対決となりかねない。一方、日本人の方には「権利」「自由」「平等」なる個人の条件となるものを旗印としなければならない個人主義社会の背景を知らされていないから、日本人の「人の道」を持って、他を計る事が如何に暴挙な事であり、失礼な事であるか分かっていないのである。

 では、日本人に「人間不信」を暗示させる個人主義の世界とは、どんな「場」なのであろうか。序章でサンドイッチの例を挙げた。サンドイッチひとつ注文するのに、自分の好き嫌いを、正々堂々と主張する事が、其の訓練のできていないものにとって、どんなにか苦痛な物であるかも説明した。

 ぼくの息子は、前述のとうり、サンフランシスコで生まれ、育ったから、ぼくの苦痛が分かるどころか、彼の好き嫌いを、彼が徹底して主張する態度そのものが、ぼくを不快にする事など、絶対に理解しない。息子は白いパンは嫌いで、好きなのはライであるから、間に合わせにサンドイッチを作ろうとしても、ライのパンが手元に無ければ、まず食べない。当然、中に挿む材料の種類にも煩く、薫製のの七面鳥が無ければ、例えライパンは在っても、サンドイッチは作れないのである。

 つぃで乍ら、其の頃、同棲中のぼくのガール フレンドは脂肪の多い物は一切口にしない性質だったので、サンドイッチにマヨネーズが入っていたら、これまた、絶対に手を出さない。脱脂ミルクで作った自分用のヨウグルトを冷蔵庫にしまつておいて、マヨネーズの代用品にするのだ。

 と、言う事は、偶々、息子が遊びに来ていて、三人でサンドイッチのランチを食べる事になった場合、それぞれが、冷蔵庫を調べて、自分が食べる分だけを、自分で作って食べるのが、一番、公平で、簡単だと言う事になる。例が、ちょっと卑しくて、恐縮だが、個人主義とは、実は、そんな風景を描き出す結果に終わる事も在るのだ。

 昭和の一桁、或いは、それ以前に生まれた日本人には、何と身勝手で、贅沢な生活態度かと顰蹙を買う所だが、実は、そういう批判が見当違いとなる次第だ。

 つまり、此れは、冷蔵庫を開ければ、其の中に、三人三様のサンドイッチを作れる材料が冷蔵されてあると言う背景が第一条件として用意されてなければならない。只、単に、経済的に裕福だと言うのではない。自分の趣好をはっきり心得ており、其の選択に当たり、自分の好きな物が何で、それを要求する訓練のできていると言う、精神生活を送る為の態度をいっているのである。

 食べる事ばかりに拘っていては、誤弊が在ろうから、サンドイッチを人それぞれの生活の仕方、其の材料を、各個人のpreference 或いは privacy に置き換えて考えて頂ければぼくの云いたいことを推察して頂けるのではないだろうか。

 ぼくの育った頃の日本には、冷蔵庫はなかったし、プライバシーと言う言葉は、耳にはしてはいたものの、其の意味を知る由も無かった。

 章を代えて、まず、俺の物を持つと言う事が、何を意味するのかを良く考えてみよう。個人主義の言葉は在っても、其の本質は実存しなかった日本に育ったぼくが、アメリカ人の精神生活を理解するには、まず、彼我の歴史的背景の違いを知らなければならないのである。  

 

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